杉並区立郷土博物館を訪ねて

 杉並区立郷土博物館をご存じだろうか。
初めて博物館本館を訪ねた時。曇り空に雨傘を忘れて、閉館間際の降り出した雨に途方に暮れていると、職員さんが使い捨てていいからとビニール傘をくださった。それが印象に深く刻み込まれている。
「西荻春秋」がスタートして初めて「公的施設を取材したい」という話になった。

 いつも試行錯誤。体当たりで取材許可を取りに行く。候補にあがったのが郷土博物館だ。記事を書くには熱意と興味と好奇心が必要で、自らの体験と重ね合わせてどこか共感できないと言葉にならない。編集長が体当たりすると、博物館は快く対応してくださり、駒見敬祐さん、小室綾さんの二人の学芸員さんにお話を伺うことになった。


右:駒見敬祐さん 左:小室綾さん

企画展「すぎなみ郷土史物語」


博物館正門(井口家長屋門)


博物館 常設展示室

 博物館に着くと、駒見さんが、企画展「すぎなみ郷土史物語」を案内してくださった。企画を担当された展覧会で、郷土博物館ができた理由を知りたいと伝えると、「まさに今、その展覧会をしています」とのお話だ。実は私事だが、この3月に学芸員資格を取得したばかりである。地域の博物館を学習調査したが、インターネット上に情報が少なく、とあるページに唯一以前の館長の言葉として「失われていく郷土の姿を残したいと願った」と書かれていたのが気になっていたのだ。
 博物館設立には、きっと理由があるのではないかと探ってみると、案の定、そこには感動の物語が隠されていた。それは想像していたよりずっと長い積み重ねの上に、地域の研究者や住民の請願により実現したものだった。
 駒見敬祐さんは中世史が専門で、修士課程を修了されている。学芸員の任用は狭き門だ。若いが、学問を人の役に立てるためには「伝える」仕事がしたいと話し、展覧コンセプトからはその熱き思いが伝わる。
 展覧会の企画は基本的には学芸員が主体となり、博物館では年に1回の特別展と2回の企画展、常設展で年間を構成している。予算もさることながら、学芸員5人体制でも年間120日程度の勤務だから忙しく、新しい事実を発掘する研究にまではなかなか手が回らない。それでも「すぎなみ郷土史物語」展は「なぜ杉並区に郷土博物館ができたのか」「なぜこの地に設置されたのか」、そして地道に郷土史を遺そうと奮闘した人々がいたことが理解できる、正統派の展覧会だ。これが駒見さんらしさだろう。
学芸員として
 小室さんも文化財保存が専門なのだが、なかなか任用がないのだという。地域を回って屋敷林の調査等もされているそうで、ほんわりした人あたりの良さが魅力だ。少しでも博物館に興味を持ってもらおうと、まずはキッカケを作るため、幅広い年代が足を運ぶアイデア作りに日々奮闘している。共通して感じるのは静かだが強い思いだ。
 研究に手が回らないと書いたが、学芸員としてどのように関わっているか尋ねてみた。「ここには区民自身の長い調査と研究の蓄積があり、その厚さ深さに、数年勉強したくらいでは学芸員はとても追い付けないのです」と小室さんは素直に語ってくれた。「だから地域の人々の研究を、学芸員の視点でサポートすることが私たちの仕事だと考えています」という。これまでの地域史研究は研究者が地域民と共に活動してきた。杉並区民ではないおふたりが一生懸命すぎなみのことを考えている姿を見ると、折角、博物館ができたのだから、上手に学芸員の視点を活かすことはできないものだろうかと考えた。
「杉並は日本史に残るような事象はあまり多くないけれど、そこに「人がいる」それが特徴ではないでしょうか?」小室綾さんは言う。
 郷土博物館には5人の学芸員が嘱託として在籍しているそうだ。区民の研究蓄積はこれからも深まるとしても環境は次第に変化していく。「郷土」は過去だけにあるのでなく、現在、学芸員が活動していることも将来にもつながる大切なアーカイブを行える可能性があるのであって、その力を借りて沢山の「ひと」がいる郷土をこれからも息長く耕し、発掘し、研究していくことが重要なのではないだろうか。
 区民との連携の下に専門分野を深め、より広い視野で次の時代にも保存すべき歴史資料を発見し、区民の心のよりどころの一つとなるよう、継続、安定した仕事ができる環境を整えて欲しい。「人がいる」杉並は「人を大切にする」杉並区として魅力を深めて欲しい。
周りの環境も博物館
 駒見さんは、博物館は周辺の環境も含めて「博物館」なのだという。また「名前には深い想いが込められているのです」という。杉並にも「郷土」があった。その風景や暮らしも時代の波に呑まれて、急速に消え失せていくことに気づいた人々が、調査保存の草の根の活動を脈々と続け、博物館設立請願へと繋がったのである。
 郷土博物館本館は平成元年、和田堀公園内にオープンした。京王井の頭線の永福町駅北口から徒歩15分。JR中央線高円寺駅又は東京メトロ丸ノ内線の新高円寺駅から「永福町」行きバスで「都立和田堀公園」下車、徒歩5分等。あまり便利とはいえない場所に博物館はある。計画にあたって旧養蚕試験場、現在の蚕糸の森公園(東京メトロ 東高円寺駅)も候補に挙がったという。それでも博物館以前の地域史研究を積み重ねてきた人々は、明治時代から昭和まで繰り返してきた遺跡発掘調査や歴史的景観を含めた周囲の環境までを含めて博物館の立地条件としたいと望んだ。それが、博物館が和田堀公園内、旧嵯峨侯爵邸跡地に設置された理由なのだという。
 駅に近い便利な場所の方が、人が来るように思えたが、調べてみると区内の学校の見学等での利用も含め、入館者数に遜色はない。それは博物館というものが、わたしたちにとってどのような存在なのかを改めて考えさせられる発見であった。
 東は谷中公園、済美公園から和田堀公園、西は善福寺川緑地公園に至るまで、時として広々とした草地など驚くような風景が広がる、公園ではあるが人が管理しきれない自然をいまだどこかに隠しているような環境である。杉並区の遺跡マップなどを見ると、川に沿って見事に遺跡が連なる。過去を想像しながら散策してみたい。
懐かしい記憶とともに
 さて、土日祝日の午後に博物館を訪れると古民家のいろりに火が入る。また昔、行われていた年中行事を再現している。9月10日(土)~19日(月・祝)は十五夜、10月22日(土)~30日(日)は荒神様だ。我が家ではかつてほぼ同じ時期に荒神様とえびす講をしていた。荒神様には松と榊を上げ、えびす講には尾頭付きの鯛を二尾飾り、うどんをあげて、大きな枡に家族の全員のお財布を入れた。カチカチと父が神棚と私たちの頭にも火打石を打ち、子供のお財布の中身はちょっとだけ増える。それが嬉しく家族全員で食卓を囲んだ。
 行事は気が付くといつのまにか記憶から失われてしまっている。だから区民の協力で再現されることは、貴重な行事の保存そのものだろう。

 博物館は多くの人が関わっていのちを吹き込まれる「場」だ。ほんのひとときを過ごす来館者もそのひとり。そんな余韻を感じながら郷土博物館を後にした。

杉並区立郷土博物館(本館)
〒168-0061 東京都杉並区大宮1丁目20番8号
電話 03-3317-0841

開館時間:午前9時~午後5時
休館日:毎週月曜日・毎月第三木曜日
(祝日と重なった場合は開館、翌日休館)
12月28日~1月4日
観覧料:100円 中学生以下は無料

文:窪田幸子(牛の歩み資料美術館室長 学芸員) 写真:奥村森

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