西荻北 「三原堂」 三代目当主 田中好太郎さん
西荻窪駅北口を出て北銀座通りに向かう。三井住友銀行を右手に見ながら少し進むとローソンの丁度向かいにあるのが三原堂である。
店内に入ると季節の生菓子、最中、おせんべいなどが目に飛び込んでくる。お客様もひっきりなしである。買い物帰りの年配の女性、片手にコーヒーを持った若い男女のカップル、注文の品を取りに来た中年の男性と、老若男女幅広い客層に驚かされる。
祖父が新潟から上京し、西荻に出店
昭和30年代半ばの写真 一番左が創業者である祖父の吉雄さん。その隣が吉雄さんの妻である好野さんと従業員の皆さん。日本一の槻(けやき)看板「横幅9尺、高さ3尺2寸、厚み2寸、重量65貫目 昭和27年制作」 看板に歴史あり西荻の三原堂は昭和10年創業。西荻で二番目に古い和菓子屋である。現在の三代目好太郎さんの祖父吉雄さんが店を構えた。吉雄さんは新潟県小千谷市出身で農家の次男坊。大正初期か中頃、東京に出て四谷の三原堂で丁稚奉公を始めた。(現在でも人形町に本店を構える三原堂は明治10年創業で、その支店が当時は四谷にもあった。)
その後何年か働いて独立し、暖簾分けされる際、場所は幾つか候補があったが、最終的に吉祥寺と西荻窪に絞った。「うろ覚えなんですが、三鷹の方にお客さんがいたらしく、祖父は電車あるいは歩きでこの辺りを通ってたんですね」
「昭和8年に、幾つかの候補の一つであった旧井荻村(現在の西荻一帯)が区画整理されたんです。隣の高井戸村は田んぼの区画割そのまんまなんですが、旧井荻村は碁盤の目のような区画割で、おそらく住宅の誘致も始まっていた頃だと思われます。お役人さん、今でいう公務員ですね、それから初期のいわゆるサラリーマンが移り住んで来ると思ったわけです。農家の場合は自分の家でお餅をつくけど、彼らはお餅を家でつかないので、和菓子の商売にはいいのではないかと考えたようです。当時は店のそばの信号から北側の向こうにある本町会商店街(今の100円ローソンより北側)が西荻の中心地だったので、ここから南の駅までの間は何もなかった。しかし、これからは駅に近い方がいいということで駅前に店を構えたんですね」
祖父はマメで好奇心旺盛な人
創業当時の大福帳が今でも大切に残っている。「初日が金105円。昭和10年頃の物価でいくと現在の30万円位。開店のご祝儀もあったかもしれないけど売り上げは結構良かったんですね。他はもっと少ないですけど。」と三代目の好太郎さんは笑う。
大福帳と当時のスタンプカード 謝恩券
昭和10年の年末のお餅の注文票もある。「関根町、今の上荻4丁目ぐらいだと思うんですけど、中野区の上高田、井荻、松庵、結構三鷹の方まであるんですね。他にお店がなかったんでしょうね。だからそういうところまで配達に行ったんですね」
昭和11年のスタンプカードも見せていただいた。当時としては斬新である。「30銭お買い上げで一個捺印。今でいうと\1,000で一個捺印。\15,000お買い上げで映画券が一枚付いてくるぐらいのもの。結構割がいい。その頃の映画館って高かったですよね。今でいうとディズニーシーの入場料くらいの値段ですよね。」
昭和12年頃の新聞の切り抜きを切り貼りしたものも結構残っているそうだ。創業者の吉雄さんは好奇心旺盛で、東京のどこかでこういうセールをやってお客さんが集まったとか、アイスコーヒーの作り方とか情報を熱心に集めていたそうだ。
長年愛される理由は手作りの味
「和菓子も大手さんとかはオートメーション化をしたり、便利な材料ができたりした時代があるわけです。売り込みもあるわけです。機械でお饅頭が作れますよとか、これ入れれば一日しか持たないのが一週間持ちますよとか。でもうちはやらなかったです。昔ながらの手作り。かなり面倒臭いですが、端折らないでというのを今でもやってます。その味を西荻のお客さんがわかってくれるんじゃないかと。それで続けていけてるんじゃないかと思ってます。」
大切にしているのは素材、手間、技術
「お菓子を作るポイントを挙げると昔から素材、手間、技術という感じですかね。素材は安心できるものと昔から使っている材料を守るようにしています。手間は省かず。例えばお餅。機械に頼らず手でこねることにより味が全然違います。そういうところを省かない。技術は職人さんが持っている技術。綺麗に美味しそうに見えるようにと。」
初代吉雄さんが作成した季節のお題目ノート。職人さん達がこの題目にヒントを得て思い思いの季節の和菓子を創作したというアイディアノート的なもの。
三世代にわたる顧客
昭和47年頃の写真 鳥一の隣にあった頃、かしわ餅を求めて並ぶお客様
「西荻窪の和菓子屋さんは完全に住み分けができていてバッティングはしません。顧客は代々西荻の方が多いです。西荻はまだ三世代家族が多い。おばあちゃんからお子さん、お孫さんに引き継がれています。」
「デパ地下に入っているお菓子は人にあげるもの。うちのお客さんは自分で食べるために買いに来るので手を抜いたら怖いですね。例えば支店を出して、そこでもまた売るというほど作れるかというとそれだけの量を作れないです。今がちょうどいいくらいで、どんと売り上げを伸ばすとかそういうことは考えてないです。」
三代目当主 田中好太郎さん三原堂のパッケージデザインは全て粛粲寶(しゅくさんぽう)によるもの
*粛粲寶は(1902~1994年) 享年93歳。新潟の生まれで、のちに東京に住して洋画を黒田清輝に、日本画を小林古径に学んだ。花鳥、静物、人物画を得意とした日本異色画家と呼ばれる。
サラリーマン時代はマーケティングに携わっていたという好太郎さん。お客さんが何を求めているのかをきちんと受け止めて、昔ながらの味を大切に守り続けていこうとしている。
店頭で年配の女性が言う。「うちは両親の時代からここなの。だからどこに何があるか見なくてもわかるのね。今日は孫に頼まれておせんべいを買いに来たのよ。孫はここのおせんべいが好きでね。」
西荻で三世代に亘り愛されている三原堂。その原点は創業以来、今も脈々と受け継がれているのである。
西荻窪のお店には文化人のエピソードが残る場所がある。写真は山下清と彼を支援する三原堂支店主の奥様方。店内には作品集と画が飾られている。
三原堂
住所:東京都杉並区西荻北3-20-12 グラツィオーソ 1階
電話: 03-3397-3998 FAX: 03-3397-3997
営業時間:9:00~19:00
定休日:日曜日
JR西荻窪駅 北口 徒歩1分
信号を渡り『喜久屋』より4軒目左手『ローソン』の向かい。
文責 小野由美子
写真 澤田末吉
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