緩やかな時間が流れるジーンズショップ 「オークランド」

西荻窪駅の南口を出て、ピンクの象さんで知られる仲通り商店街に入る。その右手、象さんの横にあるのがオークランドである。
 
店に入ると心地よい音楽が流れ、どこかリラックスした雰囲気が漂う。カジュアルな衣料と共にジェームス ディーンのポスター、古時計、そしてラグビーボールが目に止まる。
 
店主は二代目の多田裕昭さん。裕昭さんの父、貞蔵(ていぞう)さんがアメリカの中古衣料を扱う店をここで始めた。昭和26年のことである。裕昭さんが生まれた年だ。今年で65年になる。
 
貞蔵さんは山形から上京し、苦学して蒲田の工業高校を卒業した後、東京の会社に職を得た。そして戦後すぐ、貞蔵さんの兄が呉服屋をやっていた西荻窪の今の場所に移り住み、商売を始めた。

アメリカの中古衣料が出発点。お店は繁盛しました

「戦争が終わってあまり着るものがなかった時代だったんですね。アメリカの中古衣料をこっちへ送ってきて、洗い場に行って洗ったり、プレスしたり、直したりしてお店に出していました。今では中古屋さんは多いですけど、その頃はそんなになかったのでお店は繁盛していました」
 
朝は9時くらいから夜は11時まで働き、お店を閉めてからも値札をつけたりして、夜中の1時くらいまで裕昭さんのお母さんたちは働いたそうである。
 
「西荻の店をやっていた私が小さかった頃、バザーといって宇都宮だとか日本各地の体育館にトラックでいろいろな品物を運んでは売っていました。品物がない時代だから物凄く売れた」
 
「西荻の店では従業員含めて12人くらい寝泊まりしていました。開店して間もない頃、オープンリールと言ってテープデッキなんて珍しかった時代、大きなテープに案内を録音してトラックで街を廻って、体育館でバザーをやってたんですね。だから、ちっちゃい頃はほとんど家に居なかった。帰ってくるといろいろな玩具をいっぱい買ってきてくれましたね。相当なワンマン社長でしたが、涙もろくて熱い人でした」
 
西荻の店が好評で、山手線の大塚の駅前と、荻窪(現在のタウンセブンの地下に当たる場所)と合わせて三軒の店を構えた。また別荘を千葉の御宿、そして山形の蔵王のそばに持ち、夏は御宿、冬は蔵王と、裕昭さんは夏も冬も真っ黒になるほど色々と連れて行ってもらったという。
 

父は武道が好きでした

「父はもともと剣道とか柔道など武道が大好きでした。高井戸第四小学校というところに僕達(裕昭さんは姉、裕昭さん、妹、弟の四人兄弟)は行ってたんですが、そこでPTAの会長に就いたのがきっかけとなり、剣道教室(尚武会)を始めました。それが今年で50周年を迎え、今では大会で優勝するようになりました。居合は段を持っていて、明治大学(白さぎ会)で教えていました」

昭和48年、ジーンズだけを扱うお店に。そして一番忙しい時期を迎える

「昭和48年、僕が学校を出たくらいからジーンズだけのお店に変えました。その頃はエドウィンとかビッグジョンとか日本のメーカーがどんどん出始めた時です。昔、エドウィンの常見さんという社長さんとお友達で、一緒にやっていた関係でジーンズだけにしたのです。その当時はね、ジーンズブームということもあり、大学生がアルバイトをさせて欲しいと随分来てましたね。この店もアルバイトが沢山いました。大塚の店も含めると、一番多い時には20人くらいいたのかな」
 
「僕が大学を出る頃はジーンズが日本中流行っていました。丁度その頃、ベトナム戦争が終わってアメ横で軍隊の払い下げのカーキ色のジャケットを売っていました。アメリカで安く仕入れて日本に持ってくると、ものすごく売れたんです。いろんな階級章が付いていたりして。それがその当時の反戦運動の象徴でしたから、多くの人が買いに来ました」

自然な流れで家業を継ぐことに

「僕は教職をとって先生になろうと思っていました。だけど、当時学校に行っても、教室に全学連が入ってきて授業が中止になり、ちゃんとレポートを提出すれば教職課程も取れたんだろうけど、お店が忙しいので手伝わなきゃどうにもならない状況でした。そうして自然に家業に携わるようになりました。大塚の店は人が少なかったので大変でした。カレーうどんが好きで出前を頼んだのですが、忙しくて食べる暇がない。夕方にやっと箸を入れると、そのままカレーうどんが持ち上がったということがありました」
 
「昭和57年に、新婚旅行でニュージーランドに行きました。ラグビーがとても好きだったので、オールブラックスの国に行ってみたかったのです。その時にオークランドという町に行きました。とても綺麗な街でした。その名前が今の屋号の由来です。アルファベットの木工文字を買ってきて、それとニュージーランドの国鳥であるキーウィーを元に自分でアレンジしました」
 
「オークランドと命名するまではつるや貿易という名前でした。昔ジーンズのお店はみんな何々貿易っていう名前を付けてたんですよね。うちも法人名としては残っています。屋号はオークランド。昔僕が小さい時はアメリカ屋という屋号を使ってました。アメリカ屋は昔、ジーンズショップの総称みたいな感じでした」
 
「子供の頃、小学校にジーンズを履いていったら、ジーパンは普通の洋服よりも格下のイメージだったんでしょうね。子供心にちょっと馬鹿にされていたのかなという気がしました。酷いいじめのようなものではなかったですが、アメリカの作業服を売っているお店は、普通の衣料品店より格が下といったイメージがあったのでしょう」

ジーンズもトップ3の時代から新しい時代へ

「昭和48年、一番忙しい時期を過ぎ、それからいろんなメーカーがジーンズを売り始めました。40年を過ぎ、ユニクロやギャップというような大型店に替わっていった。現在、うちは日本で初めて国産ジーンズを作った岡山のメーカーKappaジーンズを扱っています。シリアルナンバー入りで、職人がひとつひとつ手作りで縫製した、こだわりのジーンズです」
 
ジーンズ以外で主に扱っているのは、男性はUniversity of Oxford、女性はブルーベルというブランドだ。これまでいろいろなブランドを扱ってきたが、この二つのブランドが西荻窪の顧客にぴたりとはまり、喜ばれているそうだ。

父にはいつもお説教をされていた気がする

「うちの父は苦労して商売をしてきた人だからいつも僕が言われたのは、お前は真剣に生きてないって、その言葉はちょっと違うかもしれないけど、なんか人生をなめているみたいなことをいつも言っていました。いつもお説教をされたような気がします。とにかくお説教が大好きでした。まあ、それだけ心配だったんだろうと思います」
 
西荻窪はみんなゆったり、のんびりしているように思うと裕昭さん。「阿佐ヶ谷辺りと比べると、やる気があんのと言われちゃうけど、その代表だね。私は」と笑う。長く続く秘訣はと訊くと「うーん、なんだろう、流されるままにかな」
 
この店の何処か緩やかな時間が流れる、リラックスできる雰囲気の理由がわかったような気がした。
 

ジーンズショップ オークランド
住所:東京都杉並区西荻南3−10−10
電話:03-3333-6032
営業時間:12:00-22:00
定休日:元日のみ
JR西荻窪南口 仲通り商店街
 
文章 小野由美子
写真 小野英夫
 
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