地域に在るお寺として~慈雲山荻寺光明院・副住職田代弘尚さん~

“荻寺”の発展

 JR・東京メトロ丸ノ内線荻窪駅の西口を出て、商店街に沿って西へ進んだところに、「荻窪最古」の言い伝えをもつ古刹がある。それが慈雲山荻寺光明院である。
 光明院のかまえは、JRに乗っていても目に入る。中央線の線路にそって歩く人たちは、知ってか知らず、光明院の境内を東西に横切る「荻の小径」をたどっていく。光明院は地域に開かれた寺院だ。

光明院本堂

 和銅元年(708)、一人の行者が、行基菩薩が作ったという千手観音像を背負ってこの場所を通りかかった。すると不思議なことに、突然背負った仏像が重くなり、動かなくなってしまった。「きっとこの尊像は、この地をお気に入りになり、離れたくないのだろう」そう考えた行者は、付近に生えていた“荻”をあつめて、小さな草堂を作った。これが光明院の始まりであると、お寺の縁起では伝えている。これが“荻窪”地名の発祥であるともされている。

 光明院の概要については、19世紀初頭に編纂された『新編武蔵国風土記稿』には以下のようにある。

 青梅街道の内にあり。慈雲院と号す。新義真言宗にて、中野村宝仙寺の末。客殿五間半に六間、東向なり。本尊千手観音の塑像を安置す。長三尺八寸、開山開基詳ならず。されど当寺世代の僧権僧都弁教は、寛文六年三月に寂せりと云えば、それより前の起立なること知べし。(読みやすいように旧字は新字に、カナはひらがなに直した)

 今の時代、地域のなかでお寺はどのように地域と接しているのだろうか。ぜひともお寺の人にこのことを取材したい。それを大きな動機として、光明院に取材を依頼したところ、快く応じてくださった。

光明院の副住職 田代弘尚さん

 今回、取材させていただいたのは、光明院の副住職田代弘尚さん。現在の光明院のご住職、田代弘興氏は、真言宗豊山派の管長(一宗一派を代表する最高責任者のこと)を務めていて、真言宗豊山派の総本山長谷寺(奈良県桜井市)にいらっしゃり、光明院は副住職さんが今は守っている。

 お寺の雰囲気に少し緊張してうかがう私たちに対し、とても気さくに対応してくださった。午前中に法事があったというお忙しいなかでありながら、「写真を撮るのなら着替えてきますよ」とわざわざ法衣に着替えてくださった。おかげでこちらも次第に緊張がほぐれていった。

 弘尚さんは荻窪で生まれた。お寺の行のため、関西に6年いたほかは、荻窪で暮らしている。小学校は光明院と同じ真言宗豊山派のお寺である宝仙寺(中野区)が設置母体である宝仙学園小学校に、東京メトロ丸の内線を使って通っていたという。

 光明院は宝仙寺の末寺である。明治期までの光明院は、「田舎寺」であったという。
そのころの光明院は“無住”だったという。そこで中野の宝仙寺の貫主が住職を兼ねていた。実際に、本堂が明治21年(1888)に甲武鉄道の開通時に移転した記念として建てられた碑にも、「当山(光明院:執筆者注)兼住職宝仙寺第四十七世」という文字が刻まれている。弘尚さんの曾祖父は、もともと福島の出身で、中野の宝仙寺で修業をしていたのだという。その時にたまたま見いだされ、光明院の住職になった。

甲武鉄道開通時に本堂が移転したことを記念する碑

 「かつてこの周りにはなにもなかったのかなと思います。うちの場合は、昔はお金もなくて檀家さんも少なかったような小寺で、そんな時にたまたま線路を引くという話があって、それが境内地を通るので境内地を割譲することにもなりました。また住職がいなかったときに兼務というかたちで宝仙寺さんが助けてくださったんです。これが今になってみれば駅からも近いという立地が幸いすることになりました。お檀家さんがだんだん増えてきたのも、いろいろな要素があって今に至っているのかなと思います。」

 荻窪という地域の発展とともに、光明院は現在の発展を迎える。駅から近いという理由でお参りする人も多いという。檀家ではなくとも、駅から近いという理由で斎場を使う人も多い。

時代のうつりかわりとお寺の役割

 かつて光明院は「観音保育園」という保育園を経営していた。その保育園があったころには、地域の盆踊りも行われていたという。昭和43年(1968)現在大斎場となっている観音ホールが建立され、ここでかつて保育園の子どもたちもお遊戯会などを行っていたという。さらに、ご住職は保育園の園長をやりながら、人形劇団をやっていて、観音ホールにあったステージで、人形劇も上演していたという。
 しかし、だんだんと地域に子どもが少なくなってきたり、人形劇の時代でもなくなってきたりという要因が重なり、観音ホールは1990年代に改装、これからの時代は自宅でお通夜や葬儀を行う人が減り、お寺でお通夜や葬儀を行う時代になるだろうということで、現在のような斎場になったのだという。

 時代が変わっていくともに、地域のなかでのお寺の役割も変わってきた。お寺が地域の祭りなど、コミュニティの中心になっていた時代が終わり、近年「葬式仏教」と揶揄されるように、「葬送の場所」としか広く認識されなくなってきた。

荻の小径

 お寺の役割変化をうけ、光明院の認識もかわってきたという。「荻の小径」がそうだ。線路沿いに整備された通路は、光明院の境内にある。この小径には、荻窪の歴史の象徴でもある荻や、季節の草木があり、往来する人々の目を楽しませている。また小径は脇の通用門から24時間通行が可能だ。これは光明院が地域に開かれた寺院として存在するためのひとつの工夫だという。

 「出会い観音」と呼ばれているご本尊も、人を引き付ける。かつて盆踊りが行われていたとき、この境内に参拝した人たちが結ばれることが多かったという。(ご本尊は普段は非公開だが、毎年3回御開帳される)

 言い伝えを活かした“戦略”も、お寺が地域に開かれる契機になる。

 また災害に際して、お寺がもつ役割は大きい。光明院では、非常食の備蓄もしているという。なぜならば、地震などの自然災害が起こると、人は自然とお寺にあつまるが、救援物資が届くのは、ほとんどが公営の公共機関だからだ。いざという時に頼れる場所であるための工夫・努力・知恵だ。

 「この周辺は割と災害対策はしっかりしていて、公的機関には防災のシステムはほぼ完備されているんですよね。それでもお寺としても防災の備えをしておくべきなのかな、と思うんですよ」

 防災の意識、それが今の時代に課せられた「お寺の努め」だという。

 年中行事として、大みそかには除夜の鐘を先着順(108回)でつくことが出来る。ご奉納は1000円。振る舞い酒も出る。
 近年は除夜の鐘をうつことが出来る寺院も減ってきている。家族で運営している寺院も苦しいところがあるという。
 「除夜の鐘という行事で、鐘をついていただくこともコミュニティの一環です。これも未来永劫、続けていかないといけないなと考えています。」

 移り変わっていく時代に順応していくことが、寺院としても求められているのだという。

聖と俗

 「お寺には「聖」と「俗」の部分があるんですよ。このお寺を残していくような「俗っぽい」ことも続けていかなければ、お寺も生き残っていけないと思っています」

 “ペット”へのまなざしも、近年かわってきているのではないだろうか。ペットも家族の一員として、近年ではペットのお墓も売り出している寺院や共同墓地がたくさんある。

 「真言宗の教えではペットは“畜生”なので、これを一緒に人間と葬るのは本来ダメなんですよ。ですので、今は光明院ではペット供養はやっていません。でも、これからはそう言ってもいられなくなるのかもしれない。例えば、災害時に小学校などの公共機関にはペットを連れて逃げられません。その場合に、お寺を開放してあげるようなことも必要になってくるかもしれない。考え方はいろいろあるのですが、ひとつの案として、例えば犬塚のようなものを作って、教義に反しないように人間とは別に葬ることも、これからの時代には求められてくるのかもしれませんね」

 

 社会へ対する“俗”なアプローチを行いつつも、“聖”の部分も守っていくことがお寺という場所だ。

 「常々我々のなかで言われているのは、真言宗の宗派として、我々が社会に迎合してはいけない、仏教観は変えてはいけない。ただし、社会がどう動いているかはだけは、よく見ていかなければならない。ということです。お寺だからといってなにも変わらずに社会から取り残されることもいけないことだし、だからといって教えや教義をねじまげてまで迎合するのもだめ、ということです」

 真言宗豊山派では、そのバランスをとることを教えているという。

 そもそも真言宗は、大きなものだけで18の宗派に分かれている。もちろん、おおもとは平安時代初期に空海がもたらした“密教”である。
 真言宗では、経典を議論していく。当然、僧侶によって読み解き方がかわっているわけであり、その大きな流れとして「分派」することになる。

 光明院が属する真言宗豊山派は、根来寺を中核として新義真言宗の一派で、16世紀の末頃、大和長谷寺(奈良県桜井市。豊山派総本山)を再興した専誉が起こした宗派とされる。

 江戸時代に宗派を広げていくなかで画期となったのが、五代将軍徳川綱吉の母桂昌院が、護国寺(東京都文京区。豊山派大本山)を開創したことによる。護国寺は徳川将軍家の祈祷寺として存在し、豊山派は護国寺を中心に関東へ末寺を広げていった。

 歴史のなかで培われてきた教義を守ることも、必要であることに違いない。

人々の仏教との接し方

 最近の人たちの仏教観は変化してきているのだろうか。

 「仏教観そのものは変わっていないんですが、仏教との「付き合い方」が変わってきたんじゃないでしょうか」

 例えば“お布施”。「お布施の値段」は決まった料金ではない。だが「値段を決めておいてほしい」というのが最近の傾向だという。
 おそらく「聞くのが面倒くさい」のではないか。と弘尚さんは考える。
 昔はお店の店員さんと話をして、値段交渉をすることがどこのまちでもあった。値札はあってないようなものだったのだ。しかし、今は店員と話して値段を決めるというやりとりは、ほとんどなくなってしまった。値札通りに支払うし、値段交渉をすることはほぼ無い(近年は家電量販店などではそれが出来ることが「ウリ」になっている傾向もある)。
 コミュニケーションの方法が変わったことにより、人と接するのがわずらわしいのではないか。だから事前にお布施の料金も決めておいてほしいのだろうと推測する。

 そもそもお布施の値段が決まっていないのは、人によって値段の重みが違うからだという。

 「例えば卑近な例ですけれど、今日食べるものにも困っている人がもってきたなけなしの一万円と、大金持ちが“これくらいでいい?”と持ってきた一万円、同じ一万円でも重みが違うわけですよね」

 かつてお寺は地域のコミュニティの中心にあって、檀家さんなど地域の人たちの生活状態も把握していた。

 「あのおうちは今日食べるものも苦労しているのに、こんなに一生懸命お布施を持ってきてくれたんだから、葬式も供養も心配しないでいいよ。と言ってあげるのがお寺の付き合いだったんです」

 コミュニケーションが取れている時代ではこれが出来ていたのではないかという。

 「人との接し方が昔とかわってきたがために、お寺がいまの人たちにとって面倒くさいものになっているんですよね。その垣根をはらうのは料金を決めることが簡単なのかもしれないけれど、あえてそれでもお寺から声をかけることが大事な時代で、若い人たちの“仏教観”もそれによって、変わっていくのではないかなと思います。わずらわしく思われたり、余計なお世話だと思われたりするだろうことは重々承知の上ですけれど、それを聞くのが住職の仕事なのかなと」

 コミュニケーション不足によって、ため込んで悩んでしまう人も多いだろう。話を聞いてくれる場所があるのならば、状況は変わってくる。

 時代の変化のなかで、お寺と地域との関係も、大きく変わっていった。お寺の教義やお寺の存在そのものが変わったわけではない。社会との関わりももちろんのことだが、行政との関わりも現代の寺院をとりまく大きな問題の一つである。

 「今の時代にとって宗教の役割が何なのかも、考えていかなければならないですよね」

今後の光明院

 時代はこれからも変わっていく。その時にどのように伝統を引き継ぎながら、社会とかかわっていくのだろう。

 「やっぱり今は難しい時代なので、ともかくもお寺を守っていくことが大事だと思っています。十年後、二十年後に檀家制度がどのように変化しているのかもわかりません。檀家を増やすための入口も変わっていくんじゃないかと思います」

 現代では、「お墓を持つ」ということが檀家への入り口となる。いわば「聖」なるものを契機として、必然的に檀家関係になることが多い。

 「今でもそうですけど、なぜお寺に行くのか、例えば京都のお寺だったら名所が多いとか、現世利益を求める精神的なものだとか、そういう理由が多いですよね。でももしそれが、世の中に受容として、前提とされるようになったときは、光明院も変化しなければいけない。もちろん教義を捻じ曲げるわけではなく、それにのっとった形で、あらたな要素を提供していく必要があるでしょうね」

 お寺が地域社会のなかで持つ意味、それを常に考えていくことが必要だという。

 「例えば、お話し方教室をやるとか、前やっていた人形劇団に近いような、文化的なプログラムを地域に発信していくことも重要ですね。昔は書道教室とか剣道教室とかも観音ホールでやっていたんです。将来的に、それをきっかけに人が集まってきて、お寺が発展していくことも出来るのかもしれません」

 今回お話しをうかがって、ここまでお寺が、変化していく地域社会のなかで存在していこうとしているのかということに、(たいへん失礼なことながら)意外に思うと共に大変感銘を受けた。気さくにお話ししていただいた弘尚さんのお人柄も、地域のために発展していこうとする光明院の性格を表しているのかもしれない。

 (重ねて失礼なことながら)旧態依然として存在しているかのように思える寺院社会にあっても、そこにお寺が存在していく限り、地域のハブとしての存在は、変化を遂げながらも、未来永劫続いていくのだと思う。

   文責:駒見敬祐
   写真:澤田末吉

   取材日:2018年8月6日

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