アプローチは「西荻窪(Nishiogikubo)+社会学(sociology)」

「都市の食文化をテーマとした、ウェブベースの東京フードカルチャーを調査するプロジェクト」を標榜する「西荻町学(Nishiogiology)」というWebページ(www.nishiogiology.org)がある。そのリーダーが、上智大学国際教養学部教授のジェイムス・ファーラーさんだ。同じ町を基盤に活動する「西荻春秋」としては、西荻窪に対する思いやこだわりについて興味津々……。ということで、今回はジェイムスさんにお時間をいただいて、様々なお話を伺うことにした。
アメリカ南部から欧州、中国、そして日本へ
 私が生まれたのはアメリカのジョージア州の田舎町です。今でも人口は3000人くらいしかいません。独立戦争(1775-1776)の頃も同じくらいの人口だったから、200年以上経っても変わっていない(笑)。10歳のときにテネシー州に移って、そこで高校を卒業し、ノースカロライナ大学へ入りました。ですから、私の故郷はアメリカ南部。昔から今に至るまで、政治的にも社会的にも保守的な土地柄です。
 大学在学中に、ドイツのデュッセルドルフ大学に留学します。そこで「海外の生活はやっぱりいいなあ」という思いを強くしました。アメリカ南部の生活は、あまり自分に合っていなかった。保守的なところから逃げたかったのです。ヨーロッパは本当に居心地がよかった。
 そんな思いもあって、1987年に大学を卒業した後、2、3年かけてヒッチハイクでヨーロッパから台湾まで旅をします。ヨーロッパではいろいろな所で働きました。イギリスでは新聞記者もやりました。スペインでは、数週間ですがサーカスで働いたこともあります。毎日象に餌やりをしましたが、とても印象的な仕事でした。
 地中海を回ってエジプトまで行き、インドやバングラデシュにも行きました。その後、台湾に渡るのですが、インドで日本人と知り合ったことで、本当は日本に行きたいと思った。でも、当時はお金もなくて……。日本はバブルの頃で、物価も高いし、とても行けなかったんです。だから台湾。
 1年間、一所懸命に中国語を学びましたね。そのおかげで「東南アジアは面白い」と感じるようになり、社会学で有名だったシカゴ大学の大学院に進みました。1998年に博士過程を修了して、中国の上海に行きます。上海には3年間住んで、中国の若い人たちの恋愛や結婚に関する研究をしました。
 そしてアメリカに戻るとなったとき、ちょうど上智大学が社会学の研究者を募集しており、それがきっかけでようやく日本に来ることができたのです。「日本は素晴らしいところだ。行きたい」は思っていたけれど、そのとき日本語は全くできませんでした。
印象的だった東京の街

 初めて東京に来たときに、友人が吉祥寺に連れて行ってくれたのですが、ハモニカ横丁がものすごく印象的でした。もうひとつ印象的だったのが、やはりその友人が連れて行ってくれた渋谷のガード下の飲み屋街です。
 上海も大好きな街ですが、東京は本当に面白い街だと思います。住み始めてもう20年にもなるのに、わかっていないところがものすごく多い。それは、たぶん東京が歴史ある古い街だから。古くからの東京の人は、自分を「東京人」ではなく「西荻人」とか「神田人」とか称して、その所々にアイデンティティを感じていますよね。生まれた土地、住んでいる土地にこだわりがある。
 東京はロンドンに通じるものがあると私は思います。ロンドンも古い街で、鉄道が発達する前の雰囲気も残っているし、鉄道が発展するにしたがって駅ができていく、18、19世紀の雰囲気も残っています。
 では、上海はといえば、シカゴと同じような感じでいわば20世紀の街です。移民の町ともいえる。面白いけれども深いとはいえません。自分にとって特別な土地だ、という意識はあまりない。ひとつの中心市街地があるだけという感じで、面白くはないですね。しかも上海は、例えば3年も空けて久々に訪れると、自分がどこにいるのか全くわからなくなる。そんな街です。
 しかし東京の場合は、西荻にしても、新しい店は増えていても街の姿はそこまで変わっていないところが多い。現地の人に聞くと、昔ながらの西荻の特徴はまだまだ残っていると言います。そこが違いますよね。
 私は日本に来て20年ですが、最初の10年間は、毎年3カ月くらいは上海に滞在していて、ずっと中国の研究をしていました。住んでいたのは中野新橋だったので、新宿にもよく行っていました。食事をしたり歌舞伎町などを見て回ったりして、魅力的な街だと思っていた。まだ若かったせいもあるかもしれないですね(笑)。
 そのうち、たまに阿佐ヶ谷に行くようになって、阿佐ヶ谷の商店街とか街並みとか、すごく好きになりました。でも今は、古いお店が閉まって、チェーン店などが入ってきて変わってしまいましたね。
 その後、上海に1年間行くことになり、日本に帰ってきてあらためて住むところを探したときに、本当は吉祥寺に住みたいと思った。でも、吉祥寺には手頃な物件がありませんでした。西荻の人に「どうして西荻に住んでいるのか」と聞くと、「吉祥寺には住めなかったから」という話がよく出ますが、そういう人は多いですね。
 西荻がどういう街か、もちろん私にはわからなかったけれど、松庵に住むことにしました。その当時は、商店街を歩いてもあまり賑やかではなかった。
 けれども、なぜ、西荻窪に暮らしている人が「西荻人」になるのか、興味が湧きました。私も西荻が好きになっていたし、日本に長く住むつもりになっていたので「日本の社会にもっと深く入りたい」と思うようになりました。そのためにも、「西荻町学」をやりたいと思い立ったわけです。プロジェクトを始めたのは2015年でした。
興味深い日本の「飲み屋文化」「食文化」
 私は海外経験を元にした視線で日本を見てしまうのですが、日本の飲み屋文化や食文化にはとても興味があります。上海の飲食店の研究も続けていますが、中国には個人経営のような小さなお店はない。オーナーとしゃべったり他のお客さんとしゃべったりするお店はないのです。でも、上海でもそういった文化に憧れている人はたくさんいます。しかし実際には自分ではやれない。
 その理由のひとつは、職人の存在です。職人つまりシェフが、自分で料理して自分で客に提供する。中国やアメリカには、そういった職人はほとんどいません。でも、お客さんはそういうお店で飲食することで、その職人の専門知識に接することができる。私はそれがすごく面白いと思うのです。
 私の上海の友人は日本の食文化が大好きで、自分でも店をやりたいと思っています。しかし彼の考え方は、料理人を雇ってきて自分はオーナーになる、というもの。日本人の店主は1日15時間とか働くけれど、外国人には難しいことです。やるとなったらすごく辛いと思っている。
 私も、そういう職人の仕事をすごく尊敬しています。だから、そういう舞台裏を見てみたいし、その厳しい生活や仕事ぶりも見てみたい。毎日同じ仕事を、朝から夜まで頑張っている。本当に面白い文化だと思います。そして、いつか本に著したい。もちろん、今の段階では表面上をさらうだけになってしまうので、職人に対して失礼になりますね。だから難しいと思っています。

 もうひとつ、コミュニティが形成される飲み屋の象徴のような『深夜食堂』というドラマがありますが、中国語バージョンもあって、中国人もよく観ています。店主や他の客との会話を通して小さな夜のコミュニティとなっているのが『深夜食堂』ですが、本当にそんな店が存在するのかどうか、上海の友人にはわからなかった。たぶん虚構だと思っていたでしょう。

 でも実際には、そういう常連さんがいる小さい飲み屋がたくさんありますね。私も、外国人で日本語もそんなに上手くしゃべれないのに、飲みながら他の人と結構会話ができる。これも日本の飲食店の特徴だと思います。
 この二つの事象は、社会学者から見ると、ものすごく面白い。「なぜ西荻か」と問われると、「そういう個人経営の店が多いから」となります。もちろん日本全国、いろいろな土地にもあるでしょうけれども、これほどの都会の中で小さい規模の店が集まっている地域というのは、世界中でも珍しい。街中で、そういう生活をどうやって維持するのか、不思議ですよね。簡単には答えはわからない。だから、ドイツやアメリカ、フランスの学会で私が西荻のことを紹介すると、みんな興味を持ってくれます。
小さな店だからこそ生まれるコミュニケーション

『深夜食堂』の話をしましたが、元来は、日本人は他人とコミュニケーションを取るのが上手ではない国民ですね。だからこそ、客同士の会話が生まれ得る小さな飲み屋が必要なのでしょう。西荻などによくある小さな飲み屋でこそ、客同士あるいは店主とのコミュニケーションが生まれるのです。
 さらに言えば、飲食店の主人がうまく話を取り持ってくれるという雰囲気もあるかもしれません。
 私は、西荻での経験がそんなに長くないので、私自身が常連だという店は、まだありません。だからあちこちの店に入るのですが、それでも様子を見てみると、店ごとに微妙な差があります。それぞれの店主の性格の違いがあって、賑やかな人のところには賑やかな雰囲気が好きな人が集まる。逆に、あんまりしゃべらなくてもいいという雰囲気のお店もあります。だから、自分の性格と合う店主がいることが大事だと思います。
 ところで、社会学的に見ると、狭い空間だからこそ、という要素もあると思いますね。
 例えばアメリカ人なんかは、飛行機で隣り合わせになるだけでもお互いにしゃべり合って、情報交換したりする。特別な空間が必要ないのです。どこでもコミュニケーションが成立する。しかし私が思うに、日本の社会ではグループが大事。例えば私のグループに誰かを入れようとしても、私個人の意見では決められない。新しい人を入れても大丈夫かどうか、みなの意見を聞かなくてはなりません。
 バーのような小さな空間、例えば5人しか入れないという制限があると、そのグループという感覚が作られやすいのではないでしょうか。個人の話ではなくグループとしての話になりやすい。たとえ店主とだけしゃべっていたとしても、他の客にもその会話は聞こえているので、コミュニケーションを共有できることになる。やはり空間が小さいからです。
 制限された空間だからこそ、安心感があって盛り上がることもできる。日本人が持つ「本音と建前」という、外国人の私たちから見ると面白い感覚も崩すことができます。行きつけの飲み屋では何でもありですからね。そういう飲み屋文化自体が本当に面白いと思います。
「飲み屋」の様変わり考
 小さな飲み屋の集まりといえば新宿のゴールデン街が有名ですが、私も昔から行っていました。けれど、ずいぶん変わりましたね。日本は今や観光大国ですから、新宿にしても吉祥寺にしても、海外からの観光客がかなり来ています。ゴールデン街も、20年前に私が日本に来たばかりの頃は常連だけの小さな飲み屋ばかりだった。「会員制」という札が貼ってある、みたいな。でも今は、観光客が来ている店が多いですね。そういう客が来ないと店自体がなくなるのかもしれません。
 昔と今では、若者のお酒の飲み方も変わってきています。昔は、ママさんがいて、男性客が飲みに来る。今は、若い女性も入りやすいようにガラスドアにして、店内を見やすくしたり入りやすくしたりしていますね。若い人は、そういう店に行きたがる。

 西荻もそうです。新しくできたお店は、そんなオープンな感じのところが多い。あとは、若い男性のバーテンダーがいる店。女性を集客するためですよね。若い人に本当にすごく人気があります。若い女性客が入っていると、男性客も入ってくるということで、もちろん私も入りたい……(笑)。

 人気がある吉祥寺のハモニカ横丁でも、今では企業グループのお店が多くなっています。例えばVIC傘下のお店ですね。外見は小さなお店が多いように見えても、実はひとつの会社が経営しているという状況。それはそれで、西荻とは違う、ひとつの素晴らしいモデルだとは思います。西荻も、もしかしたらそんな状況になってしまうかもしれない。わからないですけれども、そういった変遷を見ていくのも面白いと思います。
「西荻町学」のこれから

 私が西荻の研究を始めたときは、2年ぐらいで終わると思っていました。けれどもすでに3年を経て、でも知っているところよりも知らないところのほうが多い。街の中の小さい飲み屋さん、食べ物屋さんが本当に多いですよね。みんな自分の小さな世界を作り上げている点も面白い。最初は、もっと幅広い取材をしようと思っていたんですが、今は、食文化だけに絞ってやっています。
 私たちは、西荻町学を、感情を込めてポジティブな気持ちでやりたいと思っています。というのは、社会学者の本能的なものとして、社会の不平等などの問題を取り上げたい。例えば、レストランの中の男性と女性の役割の違いといった、ネガティブな部分に入り込んでいきがちになります。社会学的には、何でもない話から面白いことを見つけ出すことが重要とされるので、そういう意味では社会学者は、面白い人や文化人などにインタビューするのは面倒くさいと感じる。面白すぎる話は社会学にならない(笑)。ごくごく一般的なことを知りたいというのが社会学なんです。けれども、スタッフのみんなが一所懸命に取り組んでいるからこそ、感情がこもったポジティブなものになっているのだと思います。
 西荻町学のこれからですが、将来的には本にしたいと思っています。西荻だけではなく、西荻を見本にして日本の食文化を全般的に紹介したい。高級店やそういうお店の職人さんだけではなくて、テレビでよく見る有名シェフだけではなくて、幅広く紹介したいですね。だから、ファミリーレストランやチェーン店なんかも研究していきたいと思っています。せっかくの話も、Webページには書けないこともありますよね。でも本にするときには、そんな裏話もぜひ書きたいです。
 歴史からも、もっと深く迫りたいと思います。例えば柳小路は、売春防止法が施行されるまで青線地帯としても有名でした。そういった深いところまで掘り下げて、もっともっとこの街のことを知りたい。けれども、書いてあるものとしては残っていないですから、体験者から聞くしかありません。そうやって、この町のもっと歴史的なことを調べて書いていきたいと思っています。
 でも、私たちは外から来た人間だから、この町では社会的な深いつながりを持っていません。たまにお年寄りの話を聞きたいと思っても、仕事などもあって時間が取れないことも多い。昔の飲み屋街のことを知っているママさんのお店にも飲みに行って、話を聞きたいなと思います。

 そういう意味では、私たちの「西荻町学」と「西荻春秋」が協力できればいいかもしれませんね。私たちは同じ興味を持っているのだから、どんな形でも協力できれば、面白いことができるのではないでしょうか。

文:上向浩 写真:澤田末吉

取材日:2018年9月26日

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