三鷹市吉村昭書斎

美術館 博物館 文芸館
美術館 博物館 文芸館

春の柑橘の剪定や植替作業が終わり、ようやく散歩にいく気分に。こぶしか木蓮か?を眺めながら気の向くままに歩いて行くと、井の頭公園駅を出て左に坂をのぼり徒歩3分の所に令和6年3月9日、『三鷹市吉村昭書斎』が開館していました。

急性骨髄性白血病治療後のリハビリウォーキングで何度も通り、工事をしているのに気づいていたのに既に開館から1年も経っていました。坂の上にあるので、地上を走る井の頭線や公園も見渡せてとても良い場所です。近くにはおしゃれなカフェや居酒屋さん、ギャラリーもあります。夕方でしたが、真新しい館を堪能してきました。(写真は逆光が多いのでその点はどうぞご容赦ください)。

さて吉村昭氏と日本画家奥村土牛四男の奥村勝之さんにはご縁がありました。

吉村昭氏は1969年に三鷹市井の頭に居を構えます。吉村昭著『光る壁画』は内視鏡開発を取材した小説で1980年に読売新聞朝刊で連載され、新潮社から単行本が刊行されました。2011年にはテレビドラマ化もされています。
(YouTubeの紹介動画 https://youtu.be/5SJBYgLTrRY?si=J2Q-pSO1tOn8Q4da)

奥村さんはオリンパス光学工業(1975年入社)の社員として内視鏡開発をサポートする業務にたずさわっていました。実験のために開発中の内視鏡を何度も飲んだそうです。現在、オリンパスの内視鏡は世界シェアの7割を占め、私たちの健康を守るためになくてはならない医療機器となっています。

奥村さんは広報担当として『光る壁画』の執筆に協力しましたが、吉村昭氏の小説執筆のための取材はとても精緻だったそうです。小説に登場する曾根菊男(テレビドラマで佐藤隆太が演じた)が内視鏡を開発した技術者の深海正治です。内視鏡開発者は医師の宇治達郎(うじ たつろう)と言われますが、深海正治がいなければ内視鏡は完成しませんでした。その功績と人柄に世界的な賞をとってもおかしくないと願う人々がいました。ですがその想いは実ることなく、深海さんは亡くなられてしまいました。奥村さんが共にご苦労された奥様に『奥村土牛 人となり賞』を差し上げたいと願っています。吉村昭氏は奥村さんが『相続税が払えない』(1995年)を書こうとしたとき、強く励ましてくださったそうです。私は吉村昭氏のお話を奥村さんから伺っていたので、「ここで打ち合わせをしたのだろうか」「励まして戴いたのだろうか」と書斎を覗くのに興味津々でした。展示物からは吉村昭氏の執筆の姿勢やご性格が伝わってくるようでした。交流棟と呼ばれる展示室には1日のタイムスケジュールが展示されており、人生の殆どの時間を執筆活動にあてたことがわかります。眼を見張るばかりの多くの著書が並んで読むこともできます。

吉村昭氏は学習院大学で知り合った津村節子と結婚しています。「表現者同士の結婚」というのはなかなかに大変なものだと思いますが、館では7月21日まで『吉村昭と津村節子のふたり旅』という企画展示を行なっています。

三鷹市吉村昭書斎 企画展示『吉村昭と津村節子のふたり旅』(YouTube) https://youtu.be/_bDLsFGwWi0

そろそろ井の頭公園の桜も開く頃。ぜひ脚を運んでみてはいかがでしょうか。

三鷹市吉村昭書斎 施設のご案内(YouTube)
https://youtu.be/LXMwNawSVJ4

夕陽が沈む井の頭公園池

三鷹市吉村昭書斎
https://mitaka-sportsandculture.or.jp/yoshimura/
住所:三鷹市井の頭3-3-17
京王井の頭線井の頭公園駅から徒歩3分
電話:0422-26-7500

開館時間:10:00-17:30
休館日等:詳細はホームページをご覧ください。

文/写真:窪田幸子、吉村昭氏写真のみ奥村森
散歩日:2025年3月23日

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